TOP子どものあそび心理研究所エリクソン著「玩具と理性」から子どもの遊びについて考えてみました

エリクソン著「玩具と理性」から子どもの遊びについて考えてみました

同じ形を見つけてはめ込む↓

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素材を使って意味のあるものを作る↓

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黒いトレーでカブトムシができました↓

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積木を重ねる、並べる↓

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線路をつないで町を作る↓

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上記の写真のような子どもの遊びに何の意味があるの

でしょうか?

エリクソン著「玩具と理性」の中にはこう記されています。

「成人は年齢を重ねるにつれて遊びを重大なものとも有益な

ものと考えなくなり、それを人間の中心的な課題や動機とは

無関係なものと考えるようになる。成人が遊びの中に「気晴

らし」を求めるのは、その表れである。(略)子どもの遊びの

理論のひとつは、熱烈な反カルヴィニストの如くあらゆる年齢

におけるあらゆる遊びはそれ自体が完全な目的(しかも神聖

な目的)でなければならいと宣言する。一方、種々の発達理論

は子どもの遊びを成長と学習のために不可欠な条件とみなし

また種々の臨床理論は重苦しい内面的問題の解決という

課題を遊びに担わせてきた。」


難しい言葉で書かれていますが、その立場によって

子どもの遊びの解釈が全く違った視点でとらえられて

いることは理解できます。どれも間違っているとは

思いませんが、かもすると、大人の都合で偏った解釈

をしないように気を付けなればいけません。

「あらゆる子どもが、小さな舞台の上に玩具を配列する

機会を与えられると、熱心に架空の話を作りながら

あるものは真面目に組織的に、或るものは突然「閃いた

アイディア」を元にそれに取り組み始めるのである。」

「遊びを通して、世界の雛型がつくられ、経験が処理され

現在は劇化され、再び生への希望を強化するという。」


私は宗教家でも、精神分析家「でもありませんが、子ども

が、積木や線路や木や人形や調理器具等の玩具を

使って、誰から支持されることもなく、何の報酬もない

のに、何故ここまで夢中になれるのだろう?と不思議に

感じます。そして、その行為にどんな意味があるのだ

ろうか?と興味をそそられます。

そのような子どもの遊びに、敬意を表して仲間に入れ

てもらうと、今まで見えなかった子どもの内側にある

豊かな世界に触れることができます。
(これは私が感覚的に感じることなのですが…)

深いところで理解し合えるためか、あそびのアトリエの

子ども達とは月に1~2回の短い時間を共に過ごす

だけなのですが、とても親密な深い関係を築くことが

できます。

「遊びの大切さ」についてたくさんの人に理解して

もらいたいと考える一方で、大人の思惑で「遊び」を

神聖なものにしたり、発達や学習のためのものに

したり、精神分析するためのものにしたり、してしま

うと、本来の子どもの遊びの可能性が狭められるの

ではないかと危惧します。

あそびのアトリエでは、できるだけピュアな状態で

子どもが自然に遊べる環境や雰囲気を大切にしたい

と考えています。

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カテゴリ:子どものあそび心理研究所
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