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今の思い~

最近、奈緒美先生とお会いしてお話する機会があったり、

ジジさんやボッスさんとも「あそびのアトリエで大切にする

ものとは何か?何を目指すのか?」等・・・日々子どもと

向き合うことで精一杯なこともあり、なかなかお話をする

ことがなかったことをじっくり考える機会を作ることができ

ました。


「あそびが大切」「一人一人の発達を大切にしよう」という

ことは、言葉で言うのは簡単なことですが、子ども達を目の

前にして実際にそれを実行しようとすると、「で?どうすれば

上手くいくの?」ということばりかで、日々試行錯誤しながら

一人一人の子どもと真剣に向き合ってきたのですが…

「虹色教室では結果を出してきました」という奈緒美先生

の力強い言葉にとても魅力を感じました。その反面私は

「結果…まだわらない」「何を目指すのか…私が判断して

決めるものではなく子ども自身が目指すもの」という曖昧

な頼りない自分に少し落ち込んでしまいました。

奈緒美先生からは「アトリエさんはいい結果を出している

と思いますよ」と言って頂きちょっと救いになりました。

「レオさん頼りな~い」と感じられたお母さんごめんなさい。

とはいっても、私も私なりに子ども達にかかわる仕事や

活動を30年以上やってきた成果はあると少しだけ自信を

もってはいます。

私の中のイメージでは、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」

で例えると、楽団の中で落ちこぼれたゴーシュが毎晩、鳥

やネズミ達とあーだこーだやりとりしながら、いつの間にか

セロ(チェロ)が上手くなっていた…という童話を思い出します。

私も日々、個性豊かな子ども達と接する中で上手くいくこと

ばかりではありません。落ち込んだり、不安になったり、怒っ

たり、たくさんのモヤモヤするものを抱えながら、勉強会に

参加し専門書を読み、諦めずに継続することで、いつの間

にか、子ども達からたくさんのことを学んでいました。

「自分の考えを大切にしたい」

「自分らしく生きたい」

「人と仲良くしたい」

健康な子も、障がいがある子もみんなそう思って

必死に生きています。特に子どもはストレートなので

そういう思いが真逆に出てしまうことがあります。

「反抗」「自虐行為」「乱暴な態度」「無視」…

極端にそういう態度をとっている子は、大人側の

理解不足があるのではないかと思っています。

今年の4月から、あそびのアトリエの枠を少しだけ

出てみようと思い、児童発達支援のお手伝いに

月に数回行っています。そこで感じることは

あそびのアトリエで学んだ経験が私の血肉となり

とても生かされていることを実感しています。

知的には能力の高いアスペルガーの子から

、重度のアスペルガーの子、ダウン症の子、肢

体不自由の子など、様々な子ども達がいますが

どの子もとても個性的な素敵な子です。

どの子もですが、一人一人と親密にかかわりを

持ち、その子の興味のあるものにこちらも興味を

示し、共感し許容すると本当にとても仲良くなる

ことができます。表面的な共感では受け入れて

もらえません。そこはかなりシビアです・・・。

子どもは、心が通じ合うと表情がイキイキして活動も積

極的になり、いろんなものを自ら吸収し始めます。

そこには、その子が好む物やかかわり方の技術も

必要になってきますが、まずは心を通じ合わせる

ことがなければ全てが表面的になってしまいます。


即効性のある結果を求める今の社会に反して、子どもの

中でじっくりと育つ何かを信じて待ちながら子育てをする

ことはとても忍耐力がいります。そして、それを裏付ける

科学的な理論や哲学も必要になってきます。

「私は何を目指すのか・・・」と自問します。「子どもが

何になるのは本人が決めることですが、何者になろう

とも(たとえ社会的に評価が低い仕事だとしても)

自分自身が納得し、自分が幸せだと感じることが

できる人生を歩んでほしいと願っています。」

そのためには、自分の好きなことを探求するため

の精神力や、体や指先のしなやかさや、物事を

俯瞰して見る目や思考力を身に着けてほしいと

思っています。

具体的にどうすればいいのかは、幼児期はリボン

クラブの土台がありますが、学童期に関しては

子ども達と試行錯誤してやっていることろです。

私の中では、ぼんやりとですが、見えてきている

ものはあります。

ダラダラと今の自分の思いを書いてしまいました。

まだまだありますが~

読んでくれた方、お付き合い頂きありがとうござい

ました!

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カテゴリ:番外編
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Comments
2016/12/10
from ジジ
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「あそびのアトリエ」のテーマは「あそぶこと」を探求していくことです。できれば科学根拠を伴いながら説明していきたいと思います。

かって環境デザイナー研究所の仙田満氏が、岩波新書だったと思いますが、1960年から20年間の間に、横浜市での子どもたちの遊びの空間が33分の1に激減しているという警鐘を鳴らしました。

自然の空間
道路の空間
廃材置き場の空間
原っぱの空間
神社の庭などのような広場の空間などが挙げられていたと思います。

それから20年ほどして、福岡教育大学の横山正行教授が、北九州市や福岡市でも同じような現象が起きていることを報告しています。

簡単に言えば、都市の近代化に伴って、子どもの遊び空間が減少し、あそびの伝承も見られなくなったということです。

北九州市教育委員会の報告では、主に小学生対象ですが、それらの結果として・・・、

子どもたちの集団が小さくなっていること、子どもの繋がりが希薄化していること、自己肯定感が減少していることをあげています。

一部の人々が危機を感じ、森のあそび場や冒険広場のようなものを作り、子どもの遊び環境を用意してきましたが、いずれもイベント化してしています。

企画をする人々と、利用する人たちの間にも意識のずれがあります。世代が20年くらい違うでしょうから、当然と言えば当然でしょう。

時代は昭和には戻らないとすれば、新しい世代の人たちには、科学的根拠に基づいて、あそびの重要性を説明していくしかないでしょう。

「あそびの心理研究所」という看板は、そうした思いを表明したものです。

とはいえ「あそびという現象」を、合理的に捕えようとすることは、無理があります。歴史的に捕えると、合理的な精神はあそびの後に芽生えたと考えられるからです。

どのように優れた教育者でも、赤ちゃんに合理的精神を教えることは出ないでしょう。あそびは無自覚性から生まれてくるものであり、情動的流れを基盤にしています。それに比べると、合理的精神は自覚性から生まれてくるものであり、理性を基盤にしています。

例えば、母語や話し言葉は無自覚性の中でも習得していきますが、書き言葉で表現をするには、自覚性が必要です。ジブンが何を誰に伝えたいのか?ということが自覚されていなければ、相手に伝わらないでしょう。

どのように優れた教育者でも、母語を話せない人間に、国語の書き言葉を教えることはできません。書き言葉は母語が有って、その上に発明されているからです。これは人間の歴史上でもそうでしょうし、個人の発達の上でもそうでしょう。

赤ちゃんは母親やその周辺の人から話し言葉を学び、それらが成熟していって、
書き言葉を学ぶようになります。それらが7歳くらいからでちょうど良いというところでしょう。しかし、個々の字を覚えたからと言って文章が書けるわけではありません。それまでの子どもの思想が充実していなければ、記号を覚えてもジブンの考えを、文章として表現することはできないでしょう。

ご存知のように、子どもたちは「ことばや思想」をあそびの中で身につけていきます。そこでは無自覚が支配しています。われわれは子どものころ「どのようにしてことばを覚えたのか?」「どうしてそのような考え方を身につけたのか?」を知りません。

おそらくさまざまな経験をしながら自然に身につけたのでしょう。ここでいう自然にと言うのは「無自覚なままに・・」と同義語です。特別に努力もしないでと言い換えてもいいかもしれません。

ではどのようにして、欲求に支配される情動的な流れから、合理的で理性的な流れを身につけていくのでしょう?無自覚な子どもの世界から、自覚的な大人の世界へ移るのでしょう?ジブンの行動を意識的にコントロールする「随意性」を身につけるのでしょう?ジブンの中の欲求を一時側に置いて、しなければならないことができるようになるのでしょう?

これらのことは、誰かが誰かに教えることができるのでしょうか?それとも経験とともに成熟を重ねていって身につけることができるようになるのでしょうか?

現在の段階で把握していることは、「赤ちゃんの時から時間をかけて、丁寧に関わっていきましょう」ということです。そしてあそびの中で身につけた豊かな経験が、合理的な精神の土壌になってゆくということです。

乳幼児期の子どもたちについては、レオさんも見通しを持っていると思います。
しかし、学童期の子どもたちについてはどのように考えればいいのでしょう?
ジジもこの問題については避けてきました。

ジジの力では無理だと判断したからです。しかし内心は10歳までは、あそぶことで身につけていかねばならないことがあると思っています。

その点レオさんは、無謀にも見えますが、勇気があるとも思います。そして子どもたちにとってあそぶことは必要でしょう。

たとえそれが、発散のためであるとしてもです。そしてそこには大きなリスクがあります。怪我をする危険性が高くなるからです。

それでも学童期には、学童期の生活があります。勉強も必要になってきますが、それだけしていれば良いという訳にはいかないでしょう。

教科という狭い枠組みから見れば「結果」という領域があるのかも知れませんが、「生きる」という広い枠組みでは「結果」というものはないでしょう。そこにはプロセスがあるだけで、なんらかの調整する期間があるだけです。

リボンクラブの評価はお客さんがしてくれます。

私たちスタッフは、それらの負託に応えられるよう試行錯誤していくしかありません。












2016/12/12
from レオ
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ジジさんへ

コメントいつもありがとうございます
ジジさんが言われている理論は心から尊敬しています。だからこそ今現在のあそびのアトリエがあるのだと確信しています。
私は今までジジさんの高い志に憧れて必死になって学習し実践を重ねてきました。
継続することで私の中でこれだという確信のようなものも生まれ、今は子ども達と向き合うことがとても楽しくやりがいを感じて日々仕事をすることができています。

「あそびの大切さ」は私なりに認識しているつもりですが、ジジさんが違うと感じられるのであれば仕方がありません…
どこですれ違ってしまったのかは私にはわかりませんが、溝が深まるばかりのような気がしています。

レオ

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