TOP子どものあそび心理研究所ジェリーさんとジジさんからのコメント

ジェリーさんとジジさんからのコメント

ジェリーさんからのコメント↓

以前、どこでだったかは忘れてしまったのですが、 健常児を普段みている指導者が、障がい児と関わることで 新たな気づきがある。
その逆も同様で、障がい児と普段接している大人が健常児と 関わることで発見できることがあり、 双方、その後の目の前のこどもを理解することの助けになる、 といった内容に深く賛同したことを思い出しました。
(こどもを健常児、障がい児と分けるような表現で不快に感じられた方がいたらすいません。)

大切なことは、どうであれ一人ひとりに寄り添い、ジブンでできる力と助けが必要なところをどれだけ知っているか、ですね。
往々にしてできることを手伝ってしまったり、必要な助けなしにがんばりなさい!と言って努力と根性でさせることは、学校や子育て期間に多くあります。
能力を活かし、公平な社会進出ができる機会に恵まれるといいですね!

ジジさんからのコメント↓

健常児と障がい児をどこで線引きするか? 難しい問題ですね。 医学的に見て障がいが有る場合は、専門医の判断のもとできちっとした線引きして、治療的ケアーが必要でしょうね。 社会的な問題としては、健常児と障がい児を必ずしも線引きする必要はなく、空間を共にして互いに助け合うことは良い経験になると思います。実際にそうした子どもの権利に焦点を当てて保育を実践しているところがありますが、障がい児と診断されている子どもの改善が見られるそうですし、それによって健常児の発達が阻害されることもないようです。 私たちは医療に従事する専門家ではありませんので、療育に携わることはできません。 しかし、子どもの「あそぶこと」に関わることはできます。これはお父さん、お母さんにもできますし、子どもたちにもできます。 生後3カ月の赤ちゃんであれ、幼児れあれ、学童であれ、ダウン症児であれ、アスペルガーの子どもであれ、多動傾向のある子どもであれ、だれでもあそびに関わることはできます。 あそびの基盤にはコミュニケーションがあります。恐らくコミュニケーションのないあそびはないでしょう。それが他者であれ、犬や猫のような動物であれ、草花のような植物であれ、ジブン自身であるにしても、「あそぶこと」にはコミュニケーションを必要とします。 「あそばない・・・」と宣言することは、「あなとはコミニのケーションしません」と宣言することに等しいと思います。 では、コミュニケーションとはなんでしょう? 一般的に2歳児以上の子どもたちは、言葉を使ってコミュニケーションができるようになります。大人はそれ以上の文字を使ってコミュニケーションすることができます。それに比べると2歳児以下の子どもたちは、おおむね身振り手振りや表情を使ってコミュニケーションすることができます。身ぶり手ぶりが十分にできない6か月以前の子どもたちも、音声や仕草でコミュニケーションすることができます。おそらく母親は3か月以前の赤ちゃんと視線でコミュニケーションすることができるでしょう。 ここでいう、コミュニケーションは情動的やり取りのことで、必ずしも意味を必要としないのですが・・・。 「あそぶこと」が、おおよそ定形発達の基準に従って伸長していくことは、ほぼ間違いがないと思います。少なくても乳幼児期の7年間においてはという意味ですが・・・。 たとえば、アスペルガーと診断された子どもたちは非定形発達という言葉で表現されることがあります。何らかの事情が有って定形発達ができないでいるとしても、おそらく基盤には定形発達が潜在していると思います。 生後3~4か月の赤ちゃんとママがあそぶときは、双方向のコミュニケーションになっているでしょう。「あそぶこと」は双方向であることも前提になっていますから・・・。



一人一人が考えなければいけない問題ですね。
ちぽりーのさんでは、食事の介助がいる車いすの女の子がいます。
そして、その子のお世話をしたり、話しかけたりする男の子がいます。
男の子は感情のコントロールが苦手で、乱暴な一面もありますが、心はとても優しい子です。
私が女の子にスプーンでおやつを食べさせていると「へたくそやね~」と言いながら食事の介助の仕方を教えてくれます。
互いに助け合いながら生きることで双方向の関係が生まれいい関係ができていくような気がします。

にほんブログ村 教育ブログ 幼児教育へ
↑ワンクリックご協力お願いします。m(__)m
カテゴリ:子どものあそび心理研究所
Back | Top Page | Next
Comments

コメント投稿













管理者にだけ表示を許可する


Trackback

FC2ブログユーザー専用トラックバックURL


| Top Page |