TOP番外編障害児通所支援 放課後等デイサービス「ちぽりーの」

障害児通所支援 放課後等デイサービス「ちぽりーの」

今年3月に開設されたちぽりーのさん(障害児通所支援 放課後

等デイサービス)に月に2回ほどおもちゃを持って遊びに行ってま

す。

私は障がい児さんの専門家ではありませんが、「おもちゃ」と

「発達」という視点でちぽりーのさんでの出来事をブログに書く

ことの許可を頂いたので、私なりの視点で記録していこうと思

っています。


まずはじめに驚いたのは、「障がい」といっても様々、車いすの子

からダウンの子、軽度の知的障がい、自閉症スぺクトラム、注意

欠陥多動等…その中でも症候群という名の付く障がいは症状の

個人差が大きいとのこと。それに複数の障がいが重なっている場合

も多いのだそうです。

私は、知識として「この障がいはこうだ」と決めつけてかかわるよ

りも、個々の子とかかわりを持つ中で、障がいも含めて個性として

理解していこうと思っています。


ちぽりーのさんの素敵なところは、とにかく子どもの気持ちに寄り

添う職員の方が素晴らしいです。

目に見えるものではないのですが、私があそびのアトリエで大事に

しているものと同じなのです。

だから、何の苦も無くお手伝いができているのだと思います。

きっとこれが「こうでなければならない」とか「あーしろ」「こー

しろ」というような場であれば、私は続かないでしょう…(涙)

こういう雰囲気の場だからこそ子ども達が、大人を信頼して

リラックスして楽しく過ごしています。

「自分が大切にされている」「信頼されている」「失敗してもやり

直せる」という安心感がないと、表面だけの療育になってしまう

のではないかと思います。


私も何度か通ううちに「あの子はこういうおもちゃが好きかな?」

「こんなおもちゃで遊んだらどんな反応をするかな?」等

想像を膨らましながら、おもちゃをセレクトして持っていきます。

そして、遊び方を少しだけ教えてあげると、後はとてもしっかり

遊べているのに、こちがら驚かされます。

始めのころは、水風船や鉄砲などの発散できるおもちゃ

を持って行くと、鉄砲に執着する子も多く、大丈夫だったかな?

と少しドキドキもしましたが・・・

次に、線路やモザイク等を持っていくと、鉄砲で遊ぶ頻度が

減り、モザイクをとても綺麗に並べる中学生の男の子が

いたり、元気のいい小学1年生が線路を熱心につないで

いたり・・・驚くほどよく遊んでくれます。

先日は、組み立てクーゲルバーンを持っていくと

自閉症の中学生の男の子が興味を示してくれて

高低を調整し、カーブもつけてビー玉の道を作って遊んで

いました。会話でのコミニュケーションは難しい面もあるの

ですが、カプラやモザイク等の物との関わりはとても上手く

センスもあり、こちらが驚かされるばかりです。

発達障害の人は発達の凸凹が激しいと言われていますが

そういう場面を目の当たりにすると「ホントにすごい!」と

感動してしまします。「良い部分を伸ばして、できない部分

を補えばいいんじゃないか!」としみじみと思います。

はっきりとわかる障がいの子ども達はこのように自分の

ペースでよく遊んでいます。

私が心が痛むのは、軽度の発達障害の子ども達は

普通の子と同じあつかいで宿題を出されて、ゆっくりと

その子のペースで関わってもらえていないということです。

学校の集団生活、帰宅してからも宿題、夜は食事やお風

呂等の生活に追われて、出来ないと怒られる。

常に大人の指示と命令が多くなり過ぎて、じっくり自分と

向かい合う時間がないのではないかと心配します。

それが積み重なって、自己肯定感が低くなり二次障がいが

でないかと危惧します。

健常児も同じですが、やはり大人が子どもを良くしようと

思ってやり過ぎると、関係がこじれてしまいます。

大人が子どもを受け入れて子どもと良い関係を作ろうとし

た方が、「良くなりたい!大きくなりたい!」と子ども自身の

力でいい方向にいくと実感しています。


ちぽりーのさんの子ども達は発達に凸凹はありますが

大人が指示命令をしなくても

お友達におもちゃを貸すこともできるし、お友達の作った

積み木を壊さないように気を使うこともできるし、ケンカを

した後すごく後悔した表情にもなります。

素晴らしいなぁと思います。

ゆっくり しっかり まちがいながら・・・成長していくので

しょうね。



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カテゴリ:番外編
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Comments
2016/06/22
from ジェリー
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以前、どこでだったかは忘れてしまったのですが、
健常児を普段みている指導者が、障がい児と関わることで
新たな気づきがある。
その逆も同様で、障がい児と普段接している大人が健常児と
関わることで発見できることがあり、
双方、その後の目の前のこどもを理解することの助けになる、
といった内容に深く賛同したことを思い出しました。

(こどもを健常児、障がい児と分けるような表現で不快に感じられた方がいたらすいません。)

大切なことは、どうであれ一人ひとりに寄り添い、ジブンでできる力と助けが必要なところをどれだけ知っているか、ですね。
往々にしてできることを手伝ってしまったり、必要な助けなしにがんばりなさい!と言って努力と根性でさせることは、学校や子育て期間に多くあります。

能力を活かし、公平な社会進出ができる機会に恵まれるといいですね!


2016/06/22
from レオ
#- URL
ジェリーさんへ

本当にそう思います。
健常児と障がい児をどこで線引きするのかな?私自身もどちらになるのかな?と思ったりもします。
見た目は健常に見えても心に障がいを抱えている人もいますよね。
健常児とか障がい児という枠ではなく、相互に助け合いながら生きる社会を目指していきたいですね。
7月3日は「みんなの学校」の映画と木村先生講演会があります。
ジェリーさんお勧めの映画がやっとみれます!!楽しみです☆



2016/06/23
from ジジより
#- URL
健常児と障がい児をどこで線引きするか?

難しい問題ですね。

医学的に見て障がいが有る場合は、専門医の判断のもとできちっとした線引きして、治療的ケアーが必要でしょうね。

社会的な問題としては、健常児と障がい児を必ずしも線引きする必要はなく、空間を共にして互いに助け合うことは良い経験になると思います。実際にそうした子どもの権利に焦点を当てて保育を実践しているところがありますが、障がい児と診断されている子どもの改善が見られるそうですし、それによって健常児の発達が阻害されることもないようです。

私たちは医療に従事する専門家ではありませんので、療育に携わることはできません。

しかし、子どもの「あそぶこと」に関わることはできます。これはお父さん、お母さんにもできますし、子どもたちにもできます。

生後3カ月の赤ちゃんであれ、幼児れあれ、学童であれ、ダウン症児であれ、アスペルガーの子どもであれ、多動傾向のある子どもであれ、だれでもあそびに関わることはできます。

あそびの基盤にはコミュニケーションがあります。恐らくコミュニケーションのないあそびはないでしょう。それが他者であれ、犬や猫のような動物であれ、草花のような植物であれ、ジブン自身であるにしても、「あそぶこと」にはコミュニケーションを必要とします。

「あそばない・・・」と宣言することは、「あなとはコミニのケーションしません」と宣言することに等しいと思います。

では、コミュニケーションとはなんでしょう?

一般的に2歳児以上の子どもたちは、言葉を使ってコミュニケーションができるようになります。大人はそれ以上の文字を使ってコミュニケーションすることができます。それに比べると2歳児以下の子どもたちは、おおむね身振り手振りや表情を使ってコミュニケーションすることができます。身ぶり手ぶりが十分にできない6か月以前の子どもたちも、音声や仕草でコミュニケーションすることができます。おそらく母親は3か月以前の赤ちゃんと視線でコミュニケーションすることができるでしょう。

ここでいう、コミュニケーションは情動的やり取りのことで、必ずしも意味を必要としないのですが・・・。

「あそぶこと」が、おおよそ定形発達の基準に従って伸長していくことは、ほぼ間違いがないと思います。少なくても乳幼児期の7年間においてはという意味ですが・・・。

たとえば、アスペルガーと診断された子どもたちは非定形発達という言葉で表現されることがあります。何らかの事情が有って定形発達ができないでいるとしても、おそらく基盤には定形発達が潜在していると思います。

生後3~4か月の赤ちゃんとママがあそぶときは、双方向のコミュニケーションになっているでしょう。「あそぶこと」は双方向であることも前提になっていますから・・・。

ちょっと長くなりそうなので、またにしますね。




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