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道徳教育について考える

この日も勢いよく元気にやってきた年長さん達

ここぞとばかりに、言いたいことをいい

(他では言えないような悪い言葉〜)

「戦いだ!」と言ってキックやパンチをし

(「かいじゅうたちのいるところ」のマックスのように~)

私が作ったカプラを壊し・・・

表情はハツラツとし体も元気がみなぎっています。


その勢いを私が、道徳的に威圧してしまうと、子ども達の

表情は曇り、元気がなくなり、いじけた態度になります。

ニイルはこう言っています。

「われわれがひとりの幼児を見たとき、彼においては

悪意はまったくない。それはキャベツや大根が悪意を

持たないのと同じことである。子どもは生きる力を持って

いるだけである。彼の意志、すなわち彼の無意識の衝動

それは生きようとする力である。彼は自分の生きる力に

よってつき進められ、食事をとり、身体を検し、欲望の

満足をはかる。彼は神の意志に従っているのである。

(略)親達はああしてはいけない、こうしてはいけない、

という禁止ばかりの組織の中に子どもを追い込んで

しまう。そしてそこから少しでも抜け出そうとすると

悪い子どもだ、しょうがない子どもだ、わがままでいけない

というのである。キリスト教では、子ども自身の最初の声、

自然の声を悪魔の声であるというのである。そしてこれに

加える教育の声を神の声であるとしている。しかしこれは

まったく反対であると私は確信する。いわゆる道徳教育

なるのもが、かえって子どもを悪くするのであると私は

信ずる。悪い子どももその子どもが受けたこのまちがった

道徳教育を粉砕することによって、自然によい子どもに

なっていくことを私は見出している。(略)


母親が子どもの利己主義をおさえようとするのは、

かえって利己主義を固着させることになる。

満たされない意志は無意識の中に生きている。

利己主義でないようにと教育された子どもは、

生涯利己主義で押し通す。だから道徳教育は

その目的とする道徳的完成を自分で

打ちこわしていることになるのである。


自分の無意識を出しきった子ども達は、次にどうなるか?

我がままになることはありません・・・。

お腹かがすいたらホットケーキを食べたいといって

自分達で準備をし↓

CIMG4998.jpg

落ち着いたことろで、「くまのこウーフ」の

「ウーフはおしっこでできているの?」というお話を

目を閉じて、じっくりと味わって聞くことができます。

そして、ぼくは何でできているのかな?

慎重に人体模型を組み立てています。↓

CIMG4999.jpg

大人が押し付ける道徳教育は、子どもを萎縮させ

考え、判断する力を奪います。

「ではどうすれば?」 誰もが頭を抱えてしまう難題…

子どもにかかわる大人は「・・・これでいいのかな?」

と問を立て、常によく考えることが大事なことだと

思います。

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カテゴリ:もうすぐ小学生 6歳児
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