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発見する喜び、知る喜びの源は?

ゴムの動力を利用したびっくりおもちゃをいくつか

作っていました。

それを見つけた5年生の〇君が「おー!これすげー」と大感動!

「オレ学校の理科でゴムの勉強したけん!」と得意げに話ながら

何度も繰り返し遊んでいました。


小さな子ども達は、動きに見せられて喜びますが

大きくなるほど反応はバラバラです。

どうして違ってくるのかなぁ〜?と考えます。


「ゴムって何?」と聞かれると「伸びるもの」「縮むもの」と

いうことくらいはわかります。

では「どんなものに使われている?」と聞かれると

「長靴」「タイヤ」「ホース」「おもちゃ」「ボール」・・・

どれだけ答えられるでしょうか?

「何で伸びるの?縮むの?」と質問されて、答えられるで

しょうか?難しいですよね。

そしてネットや辞典で調べて知識として知ることはできますが

単純なゴムの仕掛けをみて、あんなに感動できるだろうか?



私がこういう話をするのは、、みんながみんな同じように

「ゴムの原理に感動した方がいいんだ」と言ってるわけでは

なく、その子、その子で感じるものや心が動くもが違うんだと

いうことです。
(私はゴムで感動している〇君の様子をみて感動する人です)

色彩に興味を持つ子、虫や生き物に興味を持つ子、食べ物に

興味を持つ子、物の仕組みや原理に興味を持つ子、言葉に

興味を持っ子・・・一人一人違います。

大人が教える方ばかりに比重を置きすぎると、子どもが感じて

いることや興味のあることが見えなくなります。

賢い子は、大人の価値に自分の価値を合わせて

自分が感じることを重要視しなくなります。
(大人がそう要求しているのを察知できるので・・・)

子ども主体の活動では、子どもが何に価値をおき、何に

感動するのか、しないのか、よくみえます。

それは、点数で計ったり、言葉で上手く伝えるのが難しいので

子どもの表情や身体の動きをよく見ておかないとわかりません。


内田樹さんの著書「子どもは判ってくれない」の中に

身体が求めるものはもっとフィジカルなものである。

優しい手で触れられること、響きの良い言葉で語りかけられる

こと、静かに休息すること、美味しいものを食べること、肌触り

のよい服をきること…身体は「金」とも「政治的な正しさ」とも

関係のない水準でそういう望みをひかえめに告げる。

だが、脳はたいていの場合それを無視して「金」や「政治」や

「権力」や「情報」や「威信」を優先的に配慮する。


「脳」と「身体」って違うんだ〜と妙に納得してしまいました。

まだ脳が未熟な乳幼児は頭ではわかっていても、なかなか

身体が言うことをきかない・・・ということはよくあることです。

でもそれは、乳幼児はまだ脳が未成熟だから、身体の声に

正直に応えているのではないか?というふうにも解釈できます。

そして、大人も「脳」に支配され過ぎると、身心のバランスを

壊して病気になる人もいます。静かに身体の声に耳を澄まして

あげることで、健康も維持されるのかもしれません。


「脳」だけを鍛えて知識ばかりを詰め込むだけでは

「わかった!」「おもしろい!」「これ何?!」「すごい!」

等の心の躍動や感動は湧き上がってくるのでしょうか?

私は、知識だけは難しいと思っています・・・

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カテゴリ:幼児教育について
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