TOP2017年09月01日

ジジさんからのコメント~小学生女の子のお泊り会~

小学生女の子お泊り会にジジさんからコメントもらいました。

私が言語できない部分を丁寧に解説

して下さっています。




アクティブな〇ちゃんと綺麗なもの大好きな☆ちゃんの「女の子お泊まり会」楽しそうですね。

「あそぶこと」の大切さが伝わってきます。


> 昨年は不安で泣きながら参加したお泊まり会でしたが、〇ちゃんの記憶の中では楽しい思い出として、鮮明に残っていたのでしょう。<

1年前に「だれが予測できたでしょう?」面白いエピソードですね。

ヴィニコットによると、「不安」には二種類あるそうです。一つは「分離するときの不安」と、もう一つは「分離できない時の不安」です。

ここでの分離とは「母子分離」のことです。

分離するときの不安とは、絶対的依存の段階から始まって→→ 相対的依存→→
自立に向かってのそれぞれの段階で経験する不安です。完全な自立と言うものは存在しないということですから、私たちもその渦中でしょう。

「ママと離れる不安」「包丁を使う時の不安」「花火の火が不安」どれも、自立に向かって生じてくる不安体験かも知れませんね。

> 安心、安全の中で小さな不安を乗り越える大切さを感じました。<

赤ちゃんのダダコネから始まって、イヤイヤ峠、ママへの言いがかり、父への言いがかり、いずれもヴィニコットの言葉では「攻撃性」と言う言葉で表現されていますが、「私を守ってくれる枠組みがしっかりしていること」への希望が背景にありそうです。

何も言わないで大人が側にいること、見ていること、危険であることを静止してくれること、これが子どもにとっての枠組みになるのでしょうね。レオさんは実感されていると思います。

「あそびの中で攻撃性を表現していることは、ある面ではそれは本当のことです。でもそれよりも大切なことは、子どもの攻撃性に報復しないということです。」

これは、子どもの情緒発達にとって重要な局面ですね。

あそぶことは、これらの枠組みの中で実現されます。「あそぶこと」はそれぞれの子どもが自らのニード(必要性)を探す場でもあるようです。〇ちゃんにとってはアクティブな行為がそれかも知れませんし、☆ちゃんにとっては綺麗なモノを探すことがそれかも知れません。

ヴィニコットはこれらの場を、移行空間ということばで表しました。それは、ジブンの内的世界と外的現実を繋ぐ特別なところなのでしょう。

もう一つは「分離できないことの不安」です。これはマザコンと言う言葉に象徴的に表されているようですが、お世話の妬きすぎや放任から来るようですね。

これについてヴィニコットは「世間からは、名誉も富も出世も手に入れて羨ましがられるような人の中にも、心の中に空虚があって、生きることがリアルに感じられない人」の事例をあげています。

「分離できないことの不安」は、世間(母)に気を使いすぎて、自由に生きられなかった(ジブンのニードを探すことのできなかった、もしくはできないこと)の苦しみを表しているのかも知れません。

自由に生きられると空想の中で感じられること、そして現実と繋がっていると感じられること。

「モモのスープ」や「ハンバーグ」のお料理にそのことを感じました。




「赤ちゃんのダダコネから始まって、イヤイヤ峠、ママへの言いがかり、父への言いがかり、いずれもヴィニコットの言葉では「攻撃性」と言う言葉で表現されていますが、「私を守ってくれる枠組みがしっかりしていること」への希望が背景にありそうです。」


ジジさんの言われている「私を守ってくれる枠組み」は

とても大切だなぁと感じています。

とは言っても枠組みのとらえ方は様々です。

「先回りをして出来るようにさせること」=「守ること」

だと勘違いして失敗をさせないように、攻撃性を出させ

ないようにすることが大事なことだと考えている方も多い

ようです。そういう親の方が世間からは評価されます。

しかし、失敗をすること、攻撃性を経験しないままに大きく

なると「失敗してはいけない」という緊張感や自分の怒り

の感情の出し方がわからずに、後々苦しむのは子ども

自身です。

不安にならないように気を使い過ぎてもいけないし

攻撃性を違うものにそらしてもいけないし…

大人の対応を間違ってしまうと、子どもは不安に押し

つぶされそうになったり、攻撃性がエスカレートしたり

又は、自分の感情に蓋をしてしまいます。

子どもが不安を抱えているとき、大人も一緒になって

不安になってしまうと、子どもはますます不安になります。

できれば大人はドンと構えて見守り、場合によっては問題

解決のお手伝いをしてあげることで、子どもの不安は和ら

いできます。

子どもの攻撃性が強くでるときには、何らかに対して

不満を抱えていて、その問題を言語化できずにモヤ

モヤした気持ちをどうにも抑えきれずにいるときです。

表面的に見えている現象の裏側には様々な問題が

横たわっていて、子どもは大人が見て見ぬふりをして

いる問題に対してSOSを発してくれていると私は

思います。

このことは、私が様々な書物から学んだことと

子ども達と接して経験したことから感じていることです。

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カテゴリ:子どものあそび心理研究所
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