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ジジさんからのコメント「リスクテイキング」

ジジさんから違った視点でコメントを頂きました。

「これが正しいとい」という答えではなく「子ども達が育って

いく過程で何が大事なのか」を考えるための大切な、材料

になると思います。

是非、こういう視点も取り入れながら、子ども達の問題を

考えていける仲間が増えていくといいなぁと思います。




「リスクテイキング」という言葉があります。

危険な行動、もしくは他者に迷惑をかける行動の意味で使われているようですが、元々は「勇気・冒険をする」という意味でも使われていたようです。

リスクとは危険のことですが、リスクテイキングとは「利益と危険」が混在しているということです。

「危険を受け入れてこそ大きな利益を得るチャンス(成長)もある」と考えるか、「ともかく危険は避けましょう」と考えるかの違いですね。

概ねですが、学童期の男子はリスクテイキングを好む傾向があることが報告されています。

理由は「リスクテイキングを受け入れた男の子は、女の子にモテる」ということ、少なくとも男の子はそのように思い込んでいるようです。

もう少し進めると「勇敢な男性は、そうでない男性に比べて、良い配偶者に恵まれるチャンスが多い」ということのようです。

「リスクテイキング」は単に危険な行動ではなく、危険を察知したり、危険を回避したりする技術や知識を学ぶ機会を与えているのかも知れませんね。

夜間に虫を捕りに行くことは、大きなカブトムシに出会えるチャンスかもしれませんし、無防備に出かけることは事故のリスクが増えるでしょう。

青少年施設の係官が「そうしたリスクは避けたいという立場」も理解できます。
何かが起こったときに、責任を追及されかねないでしょうから・・。

リボンクラブでも、野外活動ではリスクテイキングをある程度受け入れてきました。この20年間の間に、それほど大きな事故に遭遇しなかったのはラッキーだったと思っています。それでも以前に比べると減少してきています。社会におおらかさがなくなり、緊張感が増してきているのを感じてきたからかもしれません。

荒尾のお日さまクラブが、リスクテイキングをある程度受け入れていることに、ジジはハラハラして見てきましたが、同時にレオさんの勇気にも感心してきました。大阪のリボンクラブでも同様です。

「危険と危険の回避能力」は裏腹の関係になっていますから。

しかし、「攻撃行動や競争、リスクテイキング、空間認知、行動制御」の関することを、私たちはあそびの中で学んできたはずです。

難しい問題ですね。

時代が変化してきたとは言え「それに代わるものはあるのだろうか?」とも思います。



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「遊ぶヴィゴツキー」より~

あそびの心理研究所のジジさんが、勉強会でヴィゴツキー

の話をされるので、ヴィゴツキーの研究されているホルツマン

さんの「遊ぶヴィゴツキー」という本を読んでいるところです。

私にとっては内容はとても難しくて、上手に説明はできない

のですが、共感する部分がとてもあったので書きとめてお

きます。

●心理学者はすでに成熟した機能だけを分析してはならない。成熟しつつある機能を考慮しなければならない。子どもの発達を十分に評価しようとするなら、実際の発達水準のみならず、発達の最近接領域も考慮しなくてはならない。(1987年・ヴィゴツキーの著書より抜粋)

●私たちが発達の最近接領域と呼ぶものは…個人で問題解決をする現在の発達水準と、指導者がいたり、より有能な仲間との協同作業で問題解決をするときに現れる潜在的水準との差分である。(1978年・ヴィゴツキーの著書より抜粋)

●「より有能な」という表現から(略)、この視点を採用する研究者のほとんどは、「支援」を与えるのは認知的により有能な個人だとし、たいていの場合「素人」の子どもに対して「熟達者」は大人であるとされる。これはヴィゴツキーが「仲間」という言葉を用いていることを全く無視している。

●最近接領域にとって鍵となるのは、人々と一緒に何かをすることなのである。例えばヴィゴツキーはこう述べている。「学習はさまざまな内的プロセスを目覚めさせるが、このプロセスは環境の中にいる人々と子ども達が相互作用し、同輩と協力するときだけ働くのである」。学習が先導する発達が共同活動を必須条件とすることは、同時に障害児研究においても最重要命題であった。(略)精神間レベルの発達を「協同・協調活動として集合的な行動の機能」と特徴づけている。

●子どもは、オウムのように何でもかんでも模倣はしない。むしろ環境・関係の中にある、彼らを超えたものを模倣する。これまで用いてきた言葉で言えば、日常生活の相互作用の中で他者を創造的に模倣することはーたとえば、他人が言うことを真似したり、音楽に合わせて動いたり、鉛筆をとって「書いたり」はー話者、ダンサー、作家、学者、そして人間としてパフォーマンスをすることであり、他者につながれているものとして自己にかかわることなのだ。こうして子どもたちは、集合的活動においてたくさんのことが可能になる。

●遊びの最近接領域では「子どもの最大限の能力が可能となる、つまり明日実際の行為と道徳性の基礎レベルとなるものが、今日遊びの中で可能となる」。さらにヴィゴツキーは遊びを話すことと考えること、学校での授業、想像、概念、記憶、人格の発達といった多様なトピックに関連付けている。

●幼児期初期の遊びを人格と世界観の形成に結び付けていて、ヴィゴツキーは就学前の子ども達が「自分自身でいるのと同じくらい簡単に他人になれてしまう」と述べている。これは子どもが「わたし」であることの認識をもたないからだとして、ヴィゴツキーは幼児期後期に人格と遊びがどのように転換するかに論を進めている。



レフ・ヴィゴツキーはロシアの心理学者で37歳という若さで亡く

なられ、その後も様々な研究者が研究されているそうです。

ロイス・ホルツマンさんもその一人で、研究と実践を重ねられ

ている方です。著書では「遊び」や「子どもの発達」について

詳しくは述べられてはいないのですが、私が実際に子ども達

との関わりの中で感じている大切なことを、言葉で表現されて

いてとても共感した部分を抜粋しました。

「ごっこ遊びの意味」「相互関係の中で育ち合うもの」「子ども

の成熟しつつある機能を考慮にいれること」など、当たり前に

教育や療育の中では大切なことなのに、現代では「スピードと

正確さ」を求められるために、忘れられていることではないで

しょうか?



幼児期から小学生まで長くお付き合いしている子ども達は、

ある意味では幼児期に「困った子ちゃん」であそびのアトリエに

通い始めた子ども達です。それが10歳前後になってくると

驚くほどに激変してきます。あんなに反抗していた子が

いつの間にやら、学校で習った電気の回路の説明を

「オレ学校で電気の配列の勉強したよ。直列つなぎが…

並列つなぎが…前に電気に配線のやったやん(2年くらい

前にやった電気基盤の体験のこと)オレもうわかるけん」

とか、お母さんから聞いたお話では、子どもに留守番を

お願いして買い物に行って帰ってきたら「鬼の居ぬ間の

洗濯してたよ!」とニコニコして言うのだとか~(笑)

いつの間にか学校で得た知識を自分の体験と繋げて、自分

の内面に取り入れているなぁと感じる機会が多くなりました。

表面的に「知っている」ということではなく、子ども達を見てい

ると、学ぶこと、知ること、それを活用することが嬉しい!という

感情と繋がっているように感じます。

あそびのアトリエでは「教えること」を重視していませんが

子ども達が出会う環境や人の関係性は大事にしています。

「感情」を大切に考えているので、感情に付き合うことは

時間と労力と忍耐力が必要です。

そうやって、お母さん達とゆっくりじっくり育んできたものが

少しずつ花開いています。もう少し時間のかかる子も

いますが、大人があせらずしっかりと子どもと向き合う

覚悟が必要です。

そのお手伝いをするのがあそびのアトリエの大事な仕事

なのだと思っています。

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「探索期から道具を使って問題解決する力へ」ジジさんからのコメント紹介

あそびの心理研究所のジジさんからコメントを頂きました↓

「〇くんは、手で金魚を掴まずに、、網で金魚をすくい、容器に入れる作業を繰り返していました。」

「おもちゃもの包丁で、マジックテープの食材を切ります。」

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おもしろい光景ですですね。

網や包丁という道具性に気づいている行為なのか?それとも延滞模倣なのか?

どっちでしょう?

延滞模倣というのは、パパやママがしていた行動を、時間をおいて真似る行為といわれています。

道具の使用は、モノの用途性に気づくことです。

いづれも表象機能が必要とされていますが、延滞模倣の方が先に観察されることが多いようです。

野生のチンパンジーではいずれも観察されていないようですから、ヒトらしさの表れと言うことかも知れません。

ピアジェの指標では6段階の行為のようにも見えますね。

いずれにしても探索活動のレベルは良好に進んでいると思います。

これらの背景に、母親と子どもの「アタッチメントの安定型」があるように感じられますね。

ヴィニコットの言葉に「ひとりの赤ん坊はいない・・」がありますが、2歳半までの子どもの成長は母子の共同作業のような気がします。

最近仕入れたのですが「資源利用可能性と予測可能性」と言う言葉があります。

ハーバード大学で、人類学と心理学をそれぞれに学んだトゥビーとレダ・コスミデス教授ご夫妻によると「どんな動物も、祖先が繰り返し直面した問題を解決するために、進化の過程で形成された情報処理システムを持っている」そうです。

ハエもトンボも、これらの情報処理システムをもって生まれてくるので、ジブンの生息圏で生きていけるということのようです。

では、「ヒトの赤ちゃんはどうなのか?」ここが興味深いところですね。

チューりッヒ大学のヘルッツカー教授によると「ヒトの親指が他の四本の指から離れて進化したことが、多様なモノを把握する能力を獲得し、それがさらに知能を進化させてきた。形態に異なったものを握り、積み上げ、動かす動作を繰り返すことで、子どもは、ヒトの生活はさまざまな形態のあるもので成り立っていることを理解し始めます」とあります。

〇くんの行動を見ていると、なんだかそのままのような気がしますね。

ビョークランドとペレグリーニ(進化発達心理学者)によると、生まれたときの赤ちゃんの能は「白紙である」と言う前提は、現代の世界の心理学者は却下しているそうです。

もし、「資源利用可能性」をもって生まれてきているとしたら・・・・。、

「赤ちゃんがジブンの中にある力を引き出すためには、人的環境と、物的環境は大きいと思います。」

そういうことになります。

リボンクラブの前提「教えないことの大切さ」が、少し輪郭を持ってきました。

「教えてはいけない」ということではなく、まず適切な環境を配慮することが大切だと思いますね。

〇ちゃんも、もうすぐピアジェの6段階に入ると思われます。

ここから、言葉の領域に入っていっていきます。

子どもがしていることに関心を持って、短くコミュニケーションをしていきましょう(子どもが理解しやすいように)。

2才から4才にかけて、語彙が飛躍的に伸びる時代と言われています。

楽しみですね。



最近リボンクラブに入会されたお母さんから

こんなお話をお聞きしました。

「3歳までは「きちんとしなければ…」と思って口うるさく

教えたり、指示したりしていました。それがなかなか

上手くいかず、それ以後、叱らない子育てを心がけて

きました。」

勉強熱心なやさしいお母さんで、子どもさん(年中)

も賢くて可愛らしい男の子です。

自分の好きなことにはとことん集中してやり続ける

根気のある子です。

でもやはり、お母さんが困られているように、

コミニュケーションの難しさ、大人を試すように「これ

やっていい?」と絶対ダメなことを大人の顔色をみな

がらやってみたりします。

お母さんとお話をしていて、この子も赤ちゃんのときに
(危険がない範囲で)

あーでもない、こーでもない と探索をしたり

「これでいいのかな?」と自分で考えるゆとりがあったり

多少の失敗をして、ママにフォローしてもらったり

ママと赤ちゃんの距離間やかかわり方の微調整が

できていればよかったのかなぁと感じます。

赤ちゃんのことをお話しすると「うちはもう手遅れかも」

と落ち込まれるお母さんもいらっしゃいますが、

「そんなことはありません!」

定型発達を知ることは、「うちの子は、この時期のこの体験

が抜けていて、今これをやっているんだなぁ。遅れている

ように見えるけどしばらくは見守っておこう。

遠回りの様にみえるけど、大事なところを抜かして

成長するよりも後々子どものためになるから~」という

ように、長い目で子育てを見れるといいのかなぁと思って

います。1歳代の探索期が抜けている子は、5歳の子でも

子どもが必要とすれば探索期を保証してあげる。

2歳半前後の反抗期が抜けている子は「イヤ」「ダメ」「チガウ」

をたくさん言わせてあげて、ゆっくり考える時間を保証して

あげる・・・というように一度立ち止まって戻ることで、クリアー

できる課題はたくさんあるように思います。

年齢が大きくなっているぶん、対応には時間と労力がかかり

ますが、これは私の経験から感じていることです。


1歳は1歳の大切なこと

2歳は2歳の大切なこと

3歳は3歳の大切なこと、4歳、5歳・・・・

子どもは自分に大事なことを自分の力で獲得する力を

備えていると思います。

小さい子ほど言葉で表現できないから難しいのですが…

大人は子どもの成長を邪魔しないように、援助できると

いいですね。




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あそびの心理研究所 ジジさんからの課題

「子どもの遊びはゲノムに登録されているのか?」

というテーマの資料を頂きました。

何だか難しそうですが、面白そうなテーマです!


ミミズやクモや渡り鳥、犬や猫は、生きるための技術を

誰かに教えてもらっているのか?

それともゲノムに登録されているからできるのか?

では人間の子どもは・・・?

今、いろんな分野の研究者が研究をしているテーマ

なのだそうです。

報酬を与えて子どもの行動を変えるという教育方法も

あります。そして一定の成果を出すことも知られています。

しかし、あそびのアトリエであそぶ子ども達は、

何の報酬もないのにどうして夢中になって遊べるのか?

よく考えてみると他の動物にはない不思議な行動です。

子犬はじゃれ合って遊び、子猫は小さな箱や袋に入ったり

玉とりをして遊ぶ姿はよく見かける光景ですが、動物の

遊びはそんなにバリエーションが多くはないですよね。

私の知る限りでは・・・

人間の赤ちゃんや子どもの遊びはバリエーション豊富で

本当によく遊びます。

遊ぶ→エネルギー消耗→お腹を満たす→遊ぶ

遊ぶためにエネルギーを補充しているようにみえます。

真剣な表情で遊ぶ子ども達↓

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ここまで真剣に遊ぶ子ども達の姿を目の当たりに

するたびに、私達大人の思い込みで子ども達が

進化しようとしている過程を邪魔しないようにしな

ければいけないと常々考えています。

勿論、大人が教え導く教育も尊いものですが

でもそれ以前に、子どものゲノムの中に遊びのプロ

グラムが組み込まれているのだとしたら…

私達は子どもをどう理解して、向き合えばいいのか

真摯に考えていかなければいけない問題ではない

しょうか?

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ジジさんのコメント~経験したことを表現することの意味とは?~



レオさんが言われるように・・・。

子ども時代の「あそび」の重要性を、理論的にも実践的にも伝えて行けるといいですね。

それにしても「3歳の女の子が作った積み木のお家」完成度から言っても素晴らしいです。

> 子どもたちが、バスに乗って幼稚園に登園、男の子と女の子が綺麗に並んでいます。<

> みんな座ります。先生が絵本の読み聞かせをしているところ <


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先日、浜松市の昭和幼稚園の園長先生のブログで、シニフィアンとシニフイエと言う言葉を教えていただきました。

シニフイァンは、記号表現のことで、たとえば「うみ」という音声、もしくは「海」という文字のことです。

シニフィエは、海のイメージもしくは砂浜で経験したデキゴトのことです。

海岸に出かけて、「海は広いな」と目にしたこと、もしくはそう感じたことがシニフィエ。そのことを家に帰ってママに「海は広いね」と言うと、話し言葉のシニフィアン(音声記号)で伝える。絵に描いて表すと記号表現によるシニフィアン、作文で表すと文字記号によるシニフィアンということです。

シニフィエは、見たり、聞いたり、手で触ったりして感じとったできごと。
シニフィアンは、それらのイメージを何らかの記号で伝えることですね。

以前、学習した「児童の震災マニュアル」の中で「おもちゃはことば」がありました。

そこから見ると・・・。

「3歳の女の子が積み木で作ったお家」は、意味するものとしてシニフィアンになります。

 そして、日常の経験の中で、お家にまつわる経験が、意味されるものとしてのシニフィエになります。


経験すること、そこで感じとったことがシニフィエであり、それを記号表現すること、これがシニフィアンですね。

このように考えると、1歳半の子どもから見られる「延滞模倣」も身体表現によるシニフィアンと見ることができます。

最近ジジは「子どものあそびはゲノムに登録されているか?」というテーマに取り組んでいます。

モンテッソーリが、子どもの発見の中で「子どもの中に教師が住んでいるとしか思えない」という感嘆の言葉を述べていますが、「ゲノムに登録されているとしか思えない」と言う感じです。

> 男の子と女の子がきれいに並んでいます。みんな座ります。先生が読み聞かせをしているところ <

素晴らしいです。

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もし子どもたちに経験をさせないで、シニフィアン(記号)もしくは記号の操作だけを教えているとしたら、子どもたちは「意味のないことをさせられている」と感じるかも知れません。

子どもたちのあそびの重要性を「あそびのアトリエ」から伝えて行けるといいですね。ジジも頑張りたいと思いました。

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