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お世話になりました。

私自身「あそびのアトリエ リボンクラブ」として10年以上ブログ

を書くなんて想像もしていませんでした。

ブログをかくきっかけは「何かを発信なければ!」という切羽詰

まった思いと、書き出してみたら自分の知識のなさや論理的に

思考ができていない現実の壁にぶつかり愕然としながらも、

とにかく現実で向かい合う子ども達の問題と、ジジさんが導い

てくれる学習、自分の感性に合う書物を読みながら「子どもっ

てなんだ?」「遊びってなんだ?」「母と子の関係って何だ?」と

探求し続けた10年間でもありました。

営業ブログというよりも、その時の自分の気持ちや問題意識を

書き綴っているので誤字、脱字は勿論のこと💦

時々は方向性がわからなくなりそうになったり・・・お恥ずかしい

部分も多々あったかと思います。


このブログを通して、私自身が成長させてもらえたこと、そして

出会うはずもなかった様々な人とつながり、思いを共有する

ことができたことは、何よりもの宝物となりました。

5月からは、あそびのアトリエ リボンクラブから独立(自立)して

おひさまクラブとして活動を継続していきます。

ブログも新たにリニューアルします。→おひさまクラブ

今後ともよろしくお願いいたします。


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カテゴリ:番外編
学び続けることで得られるもの

私自身の子育ても、子どもとの関係が上手くいかないときは

自分を責めたり、子どもを責めたり、社会を責めたり・・・様々な

葛藤が波のように押し寄せていました。

自分自身がパンクをしたときには、旦那に八つ当たりをし

心許せる友人に話を聞いてもらうことで、頭の中が整理されて

子どもとの出来事を冷静に振り返ることができました。

そして、自分の価値観に合う本を読み漁り、納得したり

現実は上手くいかなかったりの繰り返し。

自分自身を振り返ると、子育ては自分の育ち直しのような

ものでした。


岡田先生の「愛着アプローチ」の中にはこう書かれています。

「明らかなことは、親子のケースであれば、子どもだけを問題

視し、子どもだけを改善しようとしても、改善のチャンスは乏し

いということだ。問題の根本的な原因は、親自身の不安定な

愛着により、子どもの安全基地となれずに、むしろ子どもの

安全を脅かしてしまっているということにあるからだ。それゆえ

むしろ親の方への働きかけをしっかり行っていくことが必要に

なる。」

「なぜ、愛着アプローチは、さまざまな状態に効果を発揮するの

だろうか。それは、愛着という仕組みが、万人に備わった幸福

に生きるということを支える根幹となる仕組みだらかであろう。

愛着システムは、不安やストレスを抑えるとともに、喜びや幸福

や活力を生む源なのである。愛着という仕組みがうまく働くよう

になることで、心のゆとりや喜びが増し、顧みる力や寛容さが

高まり、物事のよい面がみられるようになり、人を許しやすく

なり、さまざまな問題が改善に向かいやすくなるのである。」



私自身、幼い頃から生きにくさを感じてはいたものの

その正体はまったくわからず、上手くいっているときは

何の問題もないのですが、人間関係や仕事や子育て

で躓いたときには人の何倍も傷ついた感じがしていました。


母親との関係を振り返るようになり、母と子の愛着の問題

ということを学ぶようになってから、やっと少しずつ

自分や母のことを客観的にみれるようになってきました。

岡田先生の言葉は、私の実感として心にしみ込んでくる

ものばかりです。今は母を責めるつもりはありませんが

私の苦しみはそこにあったのだと気づき、今の家族の中で

新たな愛着関係を作り直し、安全基地を持てたことは

私にとっては幸運なことでした。


振り返ってみれば、安全基地が安定したものでなかった

が故に(母の生い立ちもあるので仕方ないことなのですが)

苦労はしてきましたが、それを乗り越えようと、努力して

学び続けたことで得たものもたくさんあります。



人はどんな境遇にあろうと「幸せになりたい」という欲求を

もっていて、そして、それに向けてその人なりに努力を

しています。そのときに、安全基地になってくれる人が

いることと、学び続けていくことが大切なのだと思います。







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毒薬売れました!

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〇君が作った1本100万円の毒薬

3本完売しました~!!

300万円お預かりしています

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やっと元気になりました!

日曜日からインフルエンザにかかり、5日間も

寝込んでしまいました💦

「インフルエンザは大したことなかった」という人も

いれば「ものすごく大変だった!」と言う人もいて

「ま~私は体力あるから大丈夫だろう」と簡単に

考えていたのですが・・・それがどっこい、こんなに

寝込んだこと生まれてはじめてじゃないかと思う

くらいよく寝ました。

普段元気な私にとって、病気になると予定が狂ったり

思い通りにいかなかったり、いろんな体の痛みを感じ

たり・・・もどかしい経験ばかりです。

昔の私ならば、インフルエンザを恨んでいたでしょうが

最近は、こういう経験も大切だなぁと思えるようになって

きました。「痛み」や「苦しみ」をきちんと受け止めている

人は人に対しての本当の優しさを持っています。

思い通りにならない経験は、大なり小なり人生のいたる

ところにあり、その経験をプラスにするのか?マイナス

にするのか?はその人次第です。

同じ苦しみでもプラスの苦しみにしていきたいと思って

ます。インフルエンザくらいでここまで書く(笑)?!


今日までしっかり休養して明日から仕事復帰です。

明日はリボンクラブの山登りを予定しています。

頑張って行ってきます~!!




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お正月に本を読みながらぼ~っと考えたこと

お正月に解剖学者の養老孟子さんと生物学者の池田晴彦さんの本を読みました。

お二人の物言いは、とてもはっきりしている一方で、自分が分からないことに関してはとても謙虚に言葉にされているところこに共感します。これだけの方の叡智を持ってもこれから先のことはわからない・・・。そんな時代を生きぬいていかなければならない私達はただ流されて生きていくのではなく、自分の心に引っかかるものを感じ「なんで?」「どうして?」という疑問を持ち続けて考えていくことが大切なのかもしれません。以下養老孟子さんの言葉をご紹介します。


ボクは78歳、小学生2年の時に戦争が終わった。その頃のみんなは生きるのに必死だったから「子供はなぜ勉強しないといけないの?」と聞いたら『そんなくだらないことを聞くんじゃない』と言われておしまいだっただろう。でも「そんなくだらないことを聞くんじゃない」ということは「考えるな」ということではない。お父さん、お母さんに聞いても「そういうものだよ」というだけでちゃんとした答えではないかもしれない。もし、それに納得したら考えることを止めることになる。納得せずに疑問を持ち続けることが大切。

勉強とは山に登ること。高いところに登って視野を広げること。見える範囲が広がることは人間として成長すること。

「なぜ勉強をしなくちゃいけないの」という疑問は「勉強をしたくない」ということかもしれない。そもそも学校という場所は子供に向いていない。子供はじっとしているなんてできない。それなのに、1日6時間も姿勢よく座っていることはできない。でも行かなくちゃならないから、学校はがまんの場所、我慢の練習だと思うほかない。社会に出たらいろんなガマンをしなきゃならないからね。

でもガマンと勉強は違う。

ぼくは子供のころムシが大好きだった。「くだらないことばかりしているんじゃない」とよく叱られた。でもムシのことを徹底的に調べようと思うと、いろんな知識が必要になる。標本を作るときの化学薬品や英語など。好きなことを徹底的にやろうとするとなんで数学をやらなきゃいけないのか、社会という教科がどういうときに役立つのかがわかってくる。学校での勉強が役立つときがやってくる。

答えよりも考えることが大切。いま、世の中がどんどん便利になっている。ボタンを押すだけで機械が何でもやってくれる。何かを調べるんだったらすぐに誰かが教えてくれる。

これが進むと人間がいなくてもいい世の中になってしまう。それってよいことだろうか?

人間が必要ない社会が本当に良い世の中なのか。ちょっと難しい問題だよね。

きっと答えなんかない。学校の勉強ではどんな問題にも答えがあるはずって思うけれど、世の中いつも答えがあるとは限らない。むしろ簡単に出てくる答えほど怪しいと思わなきゃいけない。テレビで偉そうなことを言っているコメンテーターの意見も疑って聞くべきだ。自分で考えることを大切にしてほしい。そもそも「なぜ勉強をしなくちゃいけないのか」という疑問に「答え」はない。でもその疑問を持ち続けて、考えることが大切なことなんだよ。





池田晴彦さんは「驚くべき乳幼児の心の世界」の著者ヴァスデヴィ・レディさんが来日された時の講演会に参加されていてその感想も述べられています。(一昨年の赤ちゃん学会で講演会の宣伝をしてあり、「行けたらいいな~」と漠然と思いつつレディさんの本を購入。こんな形でレディさんと出会えるなんてちょっとラッキーです)以下池田さんの言葉をご紹介します。




レディは乳幼児の心の研究者で、乳児と対面でコミニュケーションすること(二人称的アプローチ)により、1歳未満の乳児が、恥じらい、見せびらかし、おどけ、からかい、さらには他者の行為や応答への期待や予測を見せることを発見した女性である。

 従来いわゆる「心の理論」すなわち他者の心の状態(目的、意図、志向、疑念など)を推測する心の機能は、ヒトでは4歳くらいになって出現すると考えられていたが、レディは1歳未満でこの機能が獲得されていることを示したのだ。そのためには他者との二人称的なかかわりが極めて重要らしい。このかかわりが何らかの理由で阻害されると、乳児の心は上手に発達せず、自閉症に代表されるような状態が現れるという。

 一般的に乳幼児は1歳くらいにならないと意味のある言葉を喋らないので、心の発達は言語の獲得に先行するのである。多くの人は言葉によってコミニュケーションするので、言葉がないと正確なコミニュケーションはおろか、相手が何を考えているかも分からないと思いがちだ。しかし、事実は言葉がない方が深いコミニュケーションができるのではないかと、私は思う。(略)

赤ちゃんとお母さんや、ペットと飼い主のコミニュケーションが、きわめて親密なのは、言葉を交わさないからだと思う。





養老孟子さんはこうも言われています。



意味のあるものだけに取り囲まれてしまうと、いつの間にか、意味のない存在が許せなくなってくる。その極端な例が神奈川県の相模原市で生じた十九人殺害事件であろう。障害があって動けない人たちの生存に、どういう意味があるのか、そう犯人は問うた。

 その裏には、すべてのものには意味がなければならない、という暗黙の了解がある。さらにその意味が「自分にはわかるはずだ」という、これも暗黙の了解がある。前段の「すべてのものには意味がなければならない」までは信仰として許される。しかし第二段の暗黙の了解が問題である。「私にはそういうものの存在意義がわかりません」。そう思うのが当然なのに、自分がわからないことを、「意味がない」と勝手に決めてしまう。その結論に問題がある。なぜそうなるのかというと、すべてのものに意味があるという、都会と呼ばれる世界を作ってしまい、その中で暮らすようにしたからである。意味のあるものしか経験したことがない。そういってもいい。

山に行って、虫でも見ていれば、世界は意味に満ちているなんて誤解をするわけがない。





「学ぶとは何か?」「言葉とは何か?」「意味のあるものとは何か?」考えさせられます。

私は学校の成績が一番だとは思っていませんが、人が生きるための知識や考える力は重要だと思っています。そして「遊び」や「学び」という言葉に対して、人それぞれの考えが違うことにも気付きます。「遊ぶこと」と「勉強」が対立するように解釈している人、逆に「遊びは学び」と同等に解釈している人・・・どちらの解釈にしても一見「そうだよね」と表面的な言葉だけで合意をしているようにみえても、言葉の限界や溝を大きく感じることがあります。

言葉を通じで同調することも日本的な思いやりかもしれませんが、「自分はこう思う」とか「何でだろう?」という思考は育ちませんよね。逆に違うのが当たり前で相違点を見つけた方が、より言葉に敏感になり、よく考えるようになり、本当の意味でのコミニュケーションになるのではないかと思います。

それから私が一番危機感を感じていることが、養老孟子さんが言われるように「意味のあること」に大人が執着をしていないかということ。私も常々気を付けなければいけないことなんですが、「子どもの行動や遊びには大事な意味があります」と言いつつも、まだまだ分からないことだらけです(わからなくて当たり前かも💦)。大人が理解できる行動であれば安心して見守れます。でも、子どもはそうそう思い通りにはいきません…「駄々をこねたり」「いたずらをしたり」「言うことを聞かなかったり」「奇声を発したり」そんな子どもの行動を大人は「意味のないこと」ととして受け取り、すぐさま意味のある行動に修正しようと躍起になっていないでしうょうか?私は心に余裕のないとき時々そうした気持ちと葛藤することがあります。
「意味のあること」を全て否定するわけではありませんが、以前からもありましたが、近年加速するように、乳幼児の育ちにまで意味のあることを求めたり、意味のあることをやらせたり…子育てにゆとりや余裕というものがなくなりつつある世の中の雰囲気の息苦しさを感じます。

迷いもブレもない人はとても魅力的で頼りがいがあって安心できるようにみえますが、実際のところそんな神様のような人はいるのだろうか?とも思います。
現実には、迷いながら寄り道をしながら意味のないことをたくさんしながら、自分というものを確立していくしかないのかなぁと感じる今日この頃です。


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